集中力を高めたいときにすべきこと、心がまえ「迷いを捨てよ!」
今回は、「集中力を高める方法」ということで現代では様々なコンテンツがあふれており自分の目的の為に中々集中することができない時代になっています。
そこで、効果的に集中力を高めるための全体的な心かまえを示していきます。
私自身がこのような心かまえを持つことで以前よりも集中力がアップしたと感じるので集中力が上がらない人は参考にしてみてください。
1.集中力を高める基本的な考え方は「迷い」を捨てること、そのためにすべきことは?
集中力を高める方法を探るためには
集中している状態がどういうものなのか?、
そして人間の集中に関する特性
を知らなければならない。
まず集中している状態とは「一つのことに没頭している」ということである。このような状態を実現するためにはどのようにすれば良いだろうか?
答えは簡単だ
「したいことをできるような環境を作ること」
そして
「したくないことをできないような環境を作ること」。
まず下の「したくないことをできないような環境を作ること」について考えていきたい。
人間はある刺激があるとそれを無視することができないような特性を持っている。これは、狩猟時代に危険から身を守るために様々な周囲の状況を把握する必要があり、一つのことに没頭し気が奪われていたら自分の身に危険が及んでしまうことを防いでいたからである。しかし、現在ではそのような危険とはほとんどなくなり「刺激にいちいち反応することはかえって、マイナスの方向に作用してしまう」という時代になっている。
しかし、それにもかかわらず現代では我々の回りを囲むコンテンツは増え続け、我々の注意を奪い続けている。
スマホ、テレビを見ている時間のどれだけが本当に人生にとって必要な時間だろうか?
本当の人生の目的ではない食事、娯楽といった一時的な注意を奪われるものに私たちは振り回されて生きているのが現代だ。
しかし、もしもあなたが人生で真に実現すべき対象を見つけそれに集中を注ぐべきであると感じるならそのような刺激をなるべく断ち切らなくてはならない。その為に、勉強部屋から、作業部屋から、ムダな刺激をなくすことが重要である。少しの刺激(ちょとしたゴミ)でも我々の注意を大きくそらすことになる。一瞬注意がそれることは没入に大きなジャマになる。没入感を得るためには私の感覚で一つの対象に15分以上外からの刺激に注意を奪われないような環境作りが大事であるように思う。そうすると、更なる没入感で長い集中力を発揮することができるだろう。
「したいことをできるような環境を作る」
ということについてだが、人間は基本的に「暇」を嫌う。何かに注意を奪われていたいのだ。しかし、それがテレビやスマホではダメだ。自分がしたいことだけをできるような環境を作ることができればそのことが自然とできるように変化していく。
それしかできないような環境になれば人間は自然とそのことをするようになる
2.人間の集中力のリソース「ウィルパワー」を無駄使いしない
人間の集中力が働いている状態とは、「前頭葉」がうまく機能している状態のことを指す。
そして、この前頭葉が集中する度に「ウィルパワー」と呼ばれる意志のチカラが使われる。このウィルパワーは限りがある。
例えば、「食べるのを我慢しよう」と思うことと「勉強しよう」と思うことは一見無関係のことに見えるかもしれないが、そのように自制を働かせているチカラはどちらも同じ「ウィルパワー」なのである。
つまり、「食べるのを我慢しよう」と強く思い続けると同時に「勉強しよう」と思う続けるのは非常に多くのウィルパワーを使うということになる。
こういうとガマンしたりするのが良くないというふうに聞こえるかもしれない。
しかし、習慣化していくとガマンすることなどにウィルパワーのリソースが注がれなくなるのだ
習慣化した行動はウィルパワーの使用を節約する。だから、一つずつ習慣を増やし他人から見るとすごい意志力を発揮しているように見える人でも実はそこまで意志力を発揮していないということはよくあることだ。
またウィルパワーは決定するたびに使われる。例えば「これをしよう」とか「次はこれをしよう」とか注意の対象がコロコロ変わるのもウィルパワーを多く使ってしまうので、「決定の機会を減らし自動的に運動や勉強などをできるような仕組みを作る」ことがウィルパワーの節約につながりより多くの時間を自分の勉強等に費やすことが可能になるだろう。
3.書籍
集中力に関する書籍では最近発売されたこの本が非常によくまとまっている。
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今回の記事の考え方なども詳しくこの本に書いてあるので集中力を高めたい人、その具体的方法論を知りたい人などにはオススメだ。
4.まとめ
集中力を高めるために大事なことは「迷い」を捨てること。
一直線に目標に向かうために「捨てる覚悟」を持つことが大事なのではないかと私は思う。